藤本けいすけの「日日是好日」
市議会第3回定例会で一般質問しました
茅ヶ崎市議会では8月30日~9月30日まで第3回定例会を開会中ですが、9月4日は私の一般質問登壇日でした。
今回の一般質問では「市の将来を担う活力ある人材の創出及び確保」をテーマに取り上げ、特に30代前半までの若手・中堅職員の人材育成方針などについて質しました。
言うまでもなく、市役所も人の集団であり、政策や事業の成果は職員の「資質と意欲の掛け算」で決まる訳ですが、ここ数年道半ばで市役所を退職して去って行く職員が増えているということを耳にし、その要因や対策も含めて確認する必要があると考えました。
市の答弁(主に経営総務部長)では、部内部外での積極的な研修や経験を積ませるための出向派遣、能力と成果に基づく人事評価を行っていることや、複雑化多様化する行政ニーズに応えて行くための専門人材育成などについて言及がありましたが、私から質問の中で提言した「メンター制度」(部署を超えた先輩職員による若手職員への指導・助言の仕組み)については、有益と考えるため早急に実施する、また一旦退職した職員の再就職を可能とする「復職制度」については来年度から実施する、とのことでした。
通常は、一般質問等での議員からの提言や問いかけに対しては、「検討する」や「研究する」と言った答弁が大半ですが、今回は「実施する」旨の回答で、正直自分でも驚きました。それほどまでに、職員の人材育成や退職抑止について、市役所内での危機感が高まっているのだと考えます。
さて、いくら素晴らしい仕組みを用意してみても、効果的に運用されなければ意味がありません。今回新たに導入されることになった「メンター制度」と「復職制度」については、提言者としてその状況をしっかりとチェック、後押ししたいと思います。
さて、次の定例会(12月)ではどんな質問をしようか・・・。もし皆さまで市議会で質して欲しいテーマがありましたら、どんどんお寄せください。市政全般、どのような分野でも結構です。
「妻コーディネイトのアロハ(夏・秋季制服)を着て登壇」
災害対策や子育て支援の盲点を学ぶ
先日、市議会会派(ちがさき立憲クラブ)所属議員3名で、子ども用品の会社(三起商行㈱=ミキハウス)さんと、子どもたちにスポットを当てた災害対策や子育て支援策についての勉強会を開催しました。
災害発生時の避難対策については、つい高齢者や病気・障がいを持つ方々に関する議論が中心となり、ややもすると、小さな子どもたち(乳幼児)とそのお父さん、お母さん方のことは置き去りにされがちです。
自分では避難できない小さな子どもたちをどのようにして安全な場所に移動させ、そして過酷な環境となりがちな避難所で、不安な気持ちやストレスを和らげ、病気やケガをさせずにどう過ごさせるのかについては、各ご家庭だけでなく自治体としてもさらなる研究と対策が必要です。
産着やミルクなどの生活必需品一式をリュックにセットして普段から備えておくことや、避難所では子どもたちの心を落ち着かせるための絵本(電気や電池が不要で、何よりも子どもたちに笑顔が生まれる)が必須など、学ぶべき視点がたくさんありました。
また子育て支援関連として、子どもたちの「足育」についてのお話しを伺いました。実は今、真っ直ぐに走れない、或いは木登りができない子どもたちが増えているそうで、子どもの頃から正しい歩行ができるようにするための適切な靴の選択や継続的なフットケア、そして健康診断等での定期的な足の計測が必要とのことでした。
そう言えば、私が主宰する空手道場でも、よくよく観察してみると両足でバランスよく立てない子どもたちが居て、そのことも幼少期からの「足育」が関係しているのかも知れません。
「公民連携」という行政用語がありますが、まさにこのような民間企業の知恵とノウハウを学び、各分野の政策提言などに盛り込んで行くことも、我々議員の大切な役目だと実感した勉強会となりました。
中学校給食試食会に参加しました
8月24日(土)、市役所にて開催された「中学校給食試食会」に参加しました。茅ヶ崎市では、「選択制デリバリー方式」(家庭弁当か給食を予約選択、給食作りは民間事業者に委託して各中学校へ配送する方式)を採用。
私は、お隣り平塚市や寒川町と同様、食の安全や市内雇用確保等の観点から、市直営の「給食センター方式」が適切と考える立場ですが、一旦は今年度下期からスタートすることに決まったこの方式で、生徒や保護者の皆さんの評価を見極めたいと考えます。
試食会のおかずには「ブリの甘辛煮」が登場。市の調理師さんが考えに考え抜いて頂いたメニューだそうですが、食中毒防止のため食材の温度は少し低めになっていながらも、お世辞抜きに美味しくて、個人的には量も適切でした。
食後には、参加した市議会議員の皆さんからたくさんの質問や意見が出ましたが、私からの「自宅からフリカケは持参できるのか?」という質問への答えは、「食中毒防止の観点で不可」とのことでした。うむ~、少し厳しすぎるのでは・・・?とも思いましたが、食の安全第一を最優先に考えれば、致し方ないのかも知れませんね。
また、今回の中学校給食開始に伴い、私が議会の一般質問で再三提案してきた、「小学校給食費の公会計化」(先生が給食費の徴収事務を取り扱うのではなく、税金等と同じく市が直接保護者に納付依頼書を発行して収納する方式)がようやくスタート予定となり、先生の業務負担軽減や現金事故撲滅の観点からも一歩前進と評価しています。
市の発表では、中学校給食の喫食率(予約率)目標は70%とのことですが、同じく「選択制デリバリー方式」を採用する県内自治体間では30~80%とかなりバラつきが出ているため、生徒・保護者の皆さんの多様なニーズや声をしっかり把握しつつ、改善に向けた提案を重ねて行きたいと思います。
曲がり角の町内会(自治会)
皆さんの街には「町内会」や「自治会」と言った地域組織があるかと思います。法人化(自治体が認定)などによって活発に活動する団体もある一方、全国的には加入率が徐々に低下するなど、そのあり方が今問われています(茅ヶ崎市内の加入率は全体で70%程度で、低下傾向)。
加入率低下の理由は、「人間関係が煩わしい」、「何のための団体かわからない」、「面倒な役員や係を引き受けたくない」、「地域の人との交流は必要ない」、「回覧板を廻すなんて時代遅れ。スマホで役所や地域の情報は把握できる」、「税金を払っているから、加入しなくても公共サービスは問題なく受けられる」などなど様々ですが、若い世代や単身世帯を中心に離脱の傾向が高い状況にあります。
議会でも「町内会」や「自治会」のあり方が一般質問などで問われることがありますが、この際その歴史から学んでみようと一冊の本を手にしました。
その本によりますと、「町内会」や「自治会」の歴史ははるか江戸時代に遡り、時代や社会の流れを受けて様々な形で今日に受け継がれてきたことがわかりました。中でも先の大戦中は良くも悪くも「隣組」=「強固な地縁集団」としての機能が強化され、市民生活に大きな影響(制約)を与えたという歴史があります。
さらに、戦後はそれらの団体指導者が特定の政治家と手を結び、行政に対する発言力を増すと同時に高い政治力を持ち、保守政党の勢力拡大に貢献してきた事実についても紹介されています。
そのような歴史的経緯はさておき、我が国の急激な少子高齢化や社会のデジタル化などの大きな波を受け、「自治会」や「町内会」は、今改めてその存在意義が根本から問われているのは間違いありません。
本書では、今後の処方箋が提示されていますが、私自身は「全員加入という発想ではなく、自由参加型」を基本に、「行政と対等な立ち位置」を保ち、「ICTを最大限に活用した緩やかな情報共有と課題別の地域内連帯」があるべき方向だと考えています。
さて、皆さんがお住まいの地域ではどのような状況でしょうか・・・?
戦争と平和について考える
先週茅ヶ崎市役所の1Fロビーでは、「戦争と平和」に関する市内小学生の絵画・作文コンクールの入賞作品が展示されていました。いずれも素直で純粋な感性が発揮された素晴らしい作品揃いでした。
私は子ども時代に祖父母や両親から戦争についての話しをたくさん聞いて育ちましたが、中でも祖父の体験談は鮮烈で、今でもしっかりと記憶しています。
その内容を少しご紹介しますと、海岸(有明海)で仲間と貝を獲っていた時、米軍の戦闘機が海風を利用してエンジンを切ったまま無音で飛来し、後ろからいきなり機銃掃射を浴びせたため、祖父の両脇に居たお二人が弾に当たって亡くなってしまったこと、そしてその時に慌てて防空壕に逃げた祖父も足を撃たれて大怪我をしたこと(時折りその生々しい傷跡を見せてくれました)、長崎に原子爆弾が投下されたとき、対岸に大きなキノコ雲が現れてびっくりしたこと(何の雲かわからなかった)、近所の小山にも兵隊がたくさん居たが、鉄砲の弾がなく戦闘機の攻撃に為す術もなく隠れていたこと、などです。そして子どもの頃はその防空壕が私の遊び場でもありました。
なぜに先の戦争は防ぐことができなかったのか・・・。様々な要因があったかとは思いますが、最大の要因は、当時の国際情勢や諸外国の国力について冷静かつ謙虚な把握・分析が欠けていたことと、軍部を中心とした権力集団による意図的かつ強権的な情報統制によって、国民が正しい判断をする機会を奪われてしまったことだと考えます。
今や時代は打って変わり、インターネットやテレビなどのメディアを通じ、世界の紛争や戦争の悲惨な現実をリアルタイムに知ることができますが、特定の権力集団の巧みな情報操作や隠ぺいによって、私たち日本国民が想定外の戦争や紛争に巻き込まれてしまう可能性は今もゼロではありません。
私たち国民一人一人がそのことを常に頭の隅に置き、「主権者」としてしっかりと国の進むべき道を考え、選択すると言う「義務」を忘れてはならない・・・。そのことを、子どもたちの作品を通じて改めて認識しました。